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 駒 沢 給 水 塔

 もっぱら井戸水を利用してきたため、水質不良や枯渇水に悩まされていた渋谷町の町営水道として大正12年に建設された駒沢給水所に聳え立つ2本の給水塔

 2013年10月1日、近づきつつある台風の前触れのような雨模様の中、東急田園都市線桜新町駅から徒歩10分ほどの静かな住宅地の中にある「東京都水道局駒沢給水所」に向かう。毎年10月1日に、年一回だけ開放される、「駒沢給水風景資産保存会」が開催する見学会である。実は、昨年の見学会は、台風の襲来をまともに受け中止となり、一年待っての待望の見学会である。今回は、午後1時からと3時からの2回に分けての見学であるが、到着した午後2時45分には、既に受付が始まっていて、総勢100人を超す盛況で、3班に分かれての見学となった。

 渋谷区は「東京府豊玉郡澁谷町」時代から風光明媚な住宅地として知られていたが、大正初期には飛躍的な人口増加があり、従来井戸に頼っていた上水が衛生・防火両面での水不足が憂慮され、町営水道を望む声が高まった。大正6年(1917)10月、衛生工学界の権威東京帝国大学の中島鋭治博士に設計を委属し町営水道の敷設が企画された。
 水源は、北多摩郡砧村字鎌田地先の多摩川本流の河底に求め、伏流水を河畔の砧下浄水場(標高10m)で濾過しポンプで押上ながら荏原郡駒沢町字弦巻(現在の世田谷区弦巻 標高46m)の給水塔(高さ約30m)へ送り込み、澁谷町(標高36m)へ自然流下で給水するという計画であった。落差圧を強め自然流下の水量を増すために、当時の日本では斬新な構想の下に考案されたのがこの駒沢給水所に聳え立っている2本の給水塔である。

  
給水塔
 給水塔は、大正10年(1921)に起工式を挙げ、大正12年(1923)3月に2号塔が、同年11月に1号塔が竣工した。その間の9月1日に世間を震撼させた関東大震災が発生したが、両塔とも大きな被害はなくその堅牢さを誇る結果となったという。塔の基礎部分には、関東ローム層という比較的良好な地盤にも拘らずコンクリート杭が打ち込まれ、レンガ造りが多いこの時期には珍しく現場打ちコンクリートで築造されており、当時の技術者の意気込みが感じられる。
 給水塔のデータは以下の如くである。

 高さ  外部 最上部まで29.97m
      内部 塔天井まで22.72m 
 外径 約15m
 内径 12.12m~14.55m
 内壁 鉄板(3mm厚) モルタル(17mm厚)
 外壁 現場打ち鉄筋コンクリート 最大厚 基盤部で3.33m
 有効水深 18.18m
 容量 2722立方米/基

 堂々と聳える2基の巨大な給水塔は、なんと言っても駒沢給水所の目玉である。澁谷町内の最高地が標高36mなのに対して、駒沢給水所の標高は46m。そこで高い塔を造り満水時の水深を18mに保てば塔内水面標高は64mとなり、澁谷町とは28mの落差が生じ、自然流下給水が可能とされた。
 周壁には、12本のピラスター(付け柱)が上部まで延びてその不思議な意匠は、塔頂部の装飾球(4月のさくら祭・6月の水道週間・10月1日の都民の日に点灯される)とともに見る人に強烈な印象を与えている。また、2本の塔はトラス橋で繋がれていて豪壮な構造物の中間に軽妙なリズム感をもたらしこれまた不思議な風景を作りだし、まさに「駒沢給水塔風景資産」と呼ばれる所以がここにあるのかもしれない。

 第一配水ポンプ所

 給水所の正面から見ると右手前によく目立つ四角い建物がある。渋谷町営水道第一期拡張工事で、それまで自然流下で配水していたのをポンプで圧送するため、昭和7年(1932)に築造された配水用ポンプ室である。
 直方体に近いシンプルな形で、外壁は腰部分には砂岩系の石を積み、その上は黄褐色のスクラッチタイル(釘の先端などで掻き模様を作って焼いたタイル)が貼ってある。一つ一つのタイルの微妙な色合いの違いが外壁全体として柔らかい色合いを醸し出し、当時の技術者の芸術趣味を感じさせてくれる。正面には背の高い長方形の窓を並べ、中央の出入り口の周りにはアールデコ調の装飾が施され、大変洒落た昭和初期の名建築物のひとつに数えられているという。

 屋内には、4基のポンプが当時のまま保存されている。平成元年(1989)6月、それまで56年という長い間働き続けた第一ポンプ所はその役目を負え停止した。
 往時は長方形のガラス窓から明るい陽の光りが注がれていた筈だが、いまは、窓ガラスや内壁の劣化防止のためだとかでトタン板で覆われていて内部は薄暗い。
                                  
 左は、「駒沢給水塔風景資産保存会」のパンフレット表紙に使われていた、会幹事の一人鈴木勝久氏が描いた給水塔のスケッチ。

 平成11年(1999)には、34年間稼動した第二ポンプ所も停止し、現役給水所としての機能は終了。
現在は、震災などの緊急時の重要な給水拠点となっていて、常時およそ3200立方メートルの飲料水を貯留している。

 平成24年(2012)11月 給水塔・配水ポンプ室が土木学会選奨土木遺産に認定された。認定書には、とくに『街のシンボルとして地域住民にとって愛着の深い施設』と記されていることは注目される。